my name is keiichi tokuyama live in kitayama kyoto
I have a beautiful monster in my esophagus.

大好きなタバコ 今年の1月に吸えなくなってきた
しんどい というか 何というか。。
で、もう充分と思って、止めた

5月に健康診断を受けて、案の定 COPD で精密検査が出て
紹介状を携えて受診 そこで確定診断 COPD は、慢性気管支炎 と 肺気腫 を意味する
痩せてる原因はこれで、クルマでいうと普通 アイドリングは、800 〜 1,000 あたり
肺気腫の人は、1,500 あたりで1日中回ってるという感じ
だから、 燃費が悪い つまり、痩せてゆく という事につながっていた

肺気腫の事は以前から気になっていた
ただ、取り敢えずは完全に禁煙しないと 何も始められない事も知っていた
完全に禁煙できたかどうかの経過観察その他でこの時期の受診になった
毎日、吸入薬 ウルティブロ を1日、一回
この薬が なかなかの優れもので 1,500回転 で回る事は減ってきて、結果、50kg オーバーをキープできてる

で、意外な事に この COPD になった事で、私は救われる事になる

ウルティブロを飲みだして2週間後の5/30、念の為に 胸部CT(単純)を撮りましょう という事で消化器内科の受診予約を取る
ウルティブロ は体感できる効果もあり、評価の高い薬が異例の速さで日本に入った(2014年承認)事に感謝した

さてさて、ここからが メインテーマ に繋がる事となる

CT を撮った翌朝、病院からの電話 呼吸器内科の医師からだった
寝るのが夜明け頃の私は眠りについたばかり。。
母が受けて、夕方 15時頃 呼吸器内科 の医師に連絡がつく
[気になるモノが写っているので、消化器内科 で更なる検査を] との事だった

そして、6/09 に消化器内科を受診
人生初の胃カメラを、6/14 に飲む事がきまる
この日、奇しくもニュースで流れたのが、海老蔵さんの嫁 真央ちゃんのガンが世間にリークされた日であった

6/14 初めての胃カメラ
意外な事に、胃はピロリ菌も全くない位 キレイでいい状態だった
しかし、その道すがら 食道に怪物が映り込んでいた
生検をするまでもなく、私の目にもそいつが ガン である事が分かった
初めて見たのに、ひと目でそいつの正体が分かった
担当医も仰る通り、ほぼ 間違いなく 悪性腫瘍だと思います と言った

しかし、その画像はとても美しい画像でもあった

息を飲んだ。。
周りの音が静かに消え。。
私が、癌 と向き合う事になった瞬間である

6/23 生検の結果が出る
生検の結果は、悪性腫瘍 癌の確定診断が出た
次のステップの準備で、頸部 〜 胸部 〜腹部 CTスキャン 単純 + 造影剤 を撮る

6/24 京都府立医大病院の紹介状をリクエストしていたので それと 各種データを焼いた CD-ROM 2枚 を受け取りに行く

食道ガンのオペは数ある癌の中でも最高難易度を誇るオペである
食道の部分は全切開 胃の一部を食道として再建(もしくは腸の一部)
至近距離にリンパ節がある(だから、転移も早く多岐にわたる場合が多い) からそれを細かく切り離す 5名程の医師が同時進行でオペを行わないとできないから、 まず 普通の病院では技術、医師の数 共に用意できない為、対応できない
ここ、府立医大病院は数多くの名医も輩出している オペの症例数も多い チームとして優れている 名誉の為に新しい手法を安易に取り入れず、沢山のオペをこなす事で確実性を上げていくスタンスでやっている しかし、患者の身体への負担を軽減する為の努力を惜しまない
通常の食道癌のオペは、片側の肺を空気を抜いてスペースをつくってオペをする程 身体の深い部分での作業になる為 8時間 長い時は、12時間かかる事もある

6/28 府立医大病院 消化器外科 外来初診
大辻英吾教授 筆頭に精鋭が集った大きな部屋での問診 さながら、白い巨塔である
全てのモニターにあの美しき怪物 私の癌細胞 が映し出されていた

オペを依頼するには充分な技術的信頼を持つ医師の集まりであるこのチーム
文句はない ただし、こういうスーパードクター達が完全なオペをしても、食道癌の患者が5年生きるのはとても難しい事なのである
そして、オペによる術後の予後の難しさ 復帰の困難さ があまりに多過ぎる
だから、私は実は初めから オペをしたいという気持ちがほとんどなかった
癌という怪物は、もともと癌にならなかった頃の自分の免疫力が戻らない限り、どういう手法を取ろうと 再発 との戦いである

まず、今の私の癌の進行具合、早さ、大きさ、原発の特定、他の身体の部分の癌の有無、
つまり、癌の状態をできるだけ知る事 をして道筋をつけなければいけない
そこへ向かう為のあらゆる検査が始まる訳である

そして、7/07 (意味のありそうな日付だなぁ) 消化器外科の藤原医師との面談
食道癌の外科的手術は中止する判断を伝えてきた 私は、深く同意した
何故なら、私は確実に術中に死亡するからである
理由は、全身麻酔から覚めるパワーが私の肺にはないからで、ましてや、肺に大きなダメージを要求する食道癌のオペは止めたというより出来ないのである
そう、あの COPD がオペをしないようにしてくれたのである これは、今から少し先の未来へと向かう私の人生を大きく左右する出来事なのである

今、私は58歳
昔から 60年も生きたら充分 と思って生きていた
投げやりになっているのではない
今まで生きてきた時間の中で、今が一番冷静で、頭の中がクリアーで、
心が静かで、今までより少し丁寧に正直に無理に頑張らずに過ごしている
癌 は不思議な時間をくれた 人生の短編の第二幕


人口の半分が癌になる時代
頭じゃ分かっているけど、身近な人がなると寂しいもの


府立医大病院の消化器内科で、まずは化学療法の 1クール目
8月2日 入院
シスプラチン・5FU の2液混合での治療
8月4日の朝から、9日の朝まで。。
5日間 ぶっ通しで、点滴で抗ガン剤を入れていく
その後、4週間の休養を身体に与えてあげて、2クール目
次からは、放射線治療も並行して始まる

この消化器内科の主治医も素晴らしい医師
あの 免疫マルチポイント阻害薬 の研究もしている優秀な医師

オペをしないで還暦を迎えたい 彼にそう伝えた
身体のどの部分も切り取らず、癌と共存して還暦を迎えたい

そんなさなかのリオ・オリンピック
始まる前は、どうなんだろう と冷めていた
でも、いざ始まってみると毎日 最高の感動で溢れてる
そこにいるアスリート達は、既に 2020年 東京オリンピックに繋がっている
だから、次のオリンピックをテレビで見る事を目標にした

で。。時は流れて。。
今日は、9月7日
抗ガン剤 化学療法 2nd クール を、9/01 am 10:00 to 9/06 am 10:00
無事、終えた

経過は良好で、しばらく死ぬ事はなさそうな程、元気に過ごしている
お袋も、ひと安心 という所


p.s
ふと気が付くと 37 という数字が絡んでくる
その絡み方が気に入ってるので、今も 37 がラッキーナンバー

今回の入院 一回目の要請での日程は、
抗がん剤の副作用対策で準備の為の口腔管理のスケジュールの遅れで NG
二回目の要請で、8月2日 入院

C7_3_37
7階Cフロア 3号室 37番のベッドに通された
なんとも素敵な入院生活の始まりだった

神さま ありがとう (笑)
と、心の中で呟いたよ


ブログを再開したのは、周りの愛すべき人達から
"何故、クローズにしたんですか?"
"あの雑誌のようなブログ 読むの 私の愉しみ なんですけど。。"
と言われたからなんだよ

今までは、再開する これといった理由もなく、時は流れ 。。
でも、今回 こいう事になったので 何かしら 発信できるモノを用意しておこう
と思って、眠らせていたブログをアクティブにした

メルセデスの主治医 中森さんの遺言になった記述もあり、このままブログに載せていていいものだろうか? という葛藤もあった
癌が自分ごとになって思ったんだ
主治医 中森さんのあのクルマの話し 見れないのは、勿体無い
私自身の記事は大した事も書けてないけど、それでも 読みたいと言ってくれる人がいるなら。。
有り難い事だよ

で、再開する事にしたんだ


癌の事を伝えたのは、ごく僅か 20人程。。
くれぐれも、他言無用で

伝えたい人に、こういう風に。。
ひとり ひとり に、自分自身で伝えてる

圧倒的 少数の、私にとっての "愛すべき人々" に


感謝 (笑)

2016年 夏 徳山慶一
URAN and ATOM Blog++
http://tabatha.blog.jp